ゴジラ部部長です。
空飛ぶ怪獣といえばキングギドラ、ラドン、成虫モスラ等々いますが、実はゴジラも空を飛んでいるのをご存知でしょうか。
「どうやって飛ぶねん!?」というツッコミもあるでしょう。それは実際に観てみると分かります。
それでは今回は「飛んだゴジラ」についてお話していきます。
ゴジラが飛んだ映画とは
ゴジラが飛んだ映画といえば「ゴジラ対ヘドラ」です。
公害から誕生したヘドラという怪獣とゴジラが対決する映画なのですが、ゴジラ映画としてもかなり異色の作品となっています。
まずは驚きのオープニング曲。
トンでもない歌詞で、ゴジラが飛ぶ前に映画自体がぶっ飛んでますね。
こちらを作詞した坂野義光というお名前をよく覚えておいてください。
「ゴジラを飛ばした張本人」です。
映画のオープニングでは歌詞の異様さだけではなく、サイケデリックな雰囲気と実際に東宝スタジオのプールにて用意されたという公害のセットがかなり怖いです。当時の多くの子どもにトラウマを植え付けたことは想像に難くないです。
その後登場する敵怪獣ヘドラですが、これまでのゴジラ映画の怪獣と違いドロドロしたような造形でかなり不気味な怪獣となっています。
しかもこのヘドラが憎たらしい程強い!昭和シリーズのゴジラをここまで苦しめた敵怪獣はいないです。
それでも人類の力も借りてゴジラが優勢になった時に、ついにゴジラが…
え!?こういう飛び方!?
そうなんです。放射熱線を利用したかなり特殊な飛び方をゴジラはしています。
とりあえず前方確認するのは難しいと考えられます。
とにかく、ゴジラは飛びました。誰が何と言おうと飛びました。
というか「飛ぶ必要あった?」という雰囲気もあります。
何故「ゴジラ対ヘドラ」でこのような場面が生まれたのでしょうか。
何故ゴジラが飛んだのか?
この場面を生み出したのは先ほどオープニングの作詞でも名前が出た「ゴジラ対ヘドラ」の監督でもある坂野義光氏です。
ところがこの案に真っ向から反対した人物がいました。それはゴジラの生みの親の一人でもある田中友幸プロデューサーです。
この時代すでにレジェンドとも言える立場にいた田中プロデューサーには逆らえなかったのでしょう。坂野監督も一旦はこのアイデアを封印します。
しかし…田中プロデューサーが入院している間に、飛ぶゴジラの撮影を決行し、空飛ぶゴジラの場面が出来上がったと言われています。
プロデューサーに逆らってまで、空飛ぶゴジラを生み出した坂野監督。この後「ゴジラ対ヘドラ」の続編を企画しますが、大激怒の田中プロデューサーによってその企画は叶わず…。
坂野監督はこの場面の為に自身の進退まで変えてしまったのです。
ゴジラ飛行場面の評価
一人の映画監督の人生まで変えてしまった「空飛ぶゴジラ」。当時の観客の評価は賛否両論だったそうです。
現在ではすっかり過去の話となっており、すでに「飛ぶゴジラ」はネタとしてファンの間ではすっかりおなじみのものとなっています。
空飛ぶゴジラについての逸話
その後の坂野監督ですが、今度は3D映画のゴジラ映画を企画・製作に乗り出します。その企画は巡り巡ってハリウッドまで行き着き…。
ついに2014年のハリウッド版「GODZILLA」ではエグゼクティブプロデューサーとして坂野監督の名前がクレジットされました。
一旦はゴジラ映画から完全に干されてしまった坂野監督がこのような形で名前を残すことになるなんて、人生何があるか本当に分からないものですね。
まとめ
今回は飛ぶゴジラについてお話ししました。
飛ぶゴジラだけではなくとにかく癖の強い「ゴジラ対ヘドラ」
是非とも一度ご覧ください。